―より良い観光の実現を目指して-
1.グローバルな観光現象・産業の発展と、コロナ禍のもたらした影響
20世紀の半ば以降、航空機を使った国際観光が活発化し、地球上を移動する人々の数が右肩上がりに増えてきました。UNWTO(国連世界観光機関)が毎年作成する“International Tourism Highlights 2019”によれば、2018年の国際観光客到着数は14億人、国際観光輸出の合計は1兆7,000億米ドルで、観光産業は、世界経済を牽引する一大産業になっています。 また、日本は21世紀初頭より、インバウンド(訪日)観光政策を積極的に推進し、その結果、令和2年版『観光白書』によると、2019年の訪日観光客数は3,188万人、国際観光収入は461億米ドルに達しました 。客数・収入の両面で、国際観光の目的地としての日本の存在感が着実に高まってきていたのが、コロナ禍前までの状況と言えます。
皆さんもご存知の通り、今年(2020年)に入り世界的に流行している新型コロナウイルスは、人間の移動と交流を軸とする旅や観光といった現象・産業に大きな影響を与えています。UNWTOは2020年の国際観光について、国際観光客到着数が8億5千万~11億人、観光輸出収入が9,100億~1,2兆米ドル減少し、また、1億~1億2千万人分の観光関連の雇用が危機に晒されるとの予測を出しています(2020年5月7日) 。皆さんも、今後、旅や観光がいったいどうなってしまうのか、大変気になるところかと思います。
2.旅や観光の持つ本質的価値は揺るがない
様々なニュースを見ていて皆さんもお気づきになるように、今回のコロナ禍を受け、世界中で、テレワークやオンライン授業などの形で、デジタル技術の活用が加速しつつあります。特に日本社会の文脈では、世界各国に遅れを取っていたとも言われる社会全体のデジタル化による効率性・生産性の向上を、コロナ禍をむしろチャンスとして、更に促進する必要があると言える部分もあります。また、観光地や宿泊施設の中にも、工夫を凝らし、オンラインツアーやオンライン宿泊といった新たな取組みを始め、好評を博している事例も多く存在しています。コロナ禍が終息した後にも、デジタル技術の活用が残る部分、むしろ敢えて残した方が良い部分も、社会の中に確かに存在しているはずです。
このように社会がデジタル化することの価値を認めつつも、他方で私達が忘れてはならないのは、オンラインでは経験できないこと、見失われてしまうことがやはり存在するという、いわば当たり前の事実ではないでしょうか。旅先で、五感を通して感じる、その土地独特の光の具合や風の流れ、温度や湿度、人々の喧騒、街の匂いなどこそが、旅や観光が私達の人生に与える豊かさや彩りの確かな証拠であるでしょう。或いは、現地の人々との出会いや交流により喚起される歓び、或いは時に戸惑いや憤りなどの様々な感情も、実際に旅に出て、偶然の出会いに自分の身をゆだねることで初めて、私達の人生に訪れる貴重な経験と言えるはずです。国連世界観光倫理憲章(Global Code of Ethics for Tourism)が第7条「観光の権利」で謳うように、「地球の魅力を発見し、楽しむという側面は、全世界の住民に平等に開かれている権利」であることを忘れてはなりません。また、旅や観光が、人種・民族・宗教・言語などを異にする世界中のいわば「普通の」人々同士の出会いと交流を促進することにより、同じく国連世界観光憲章の第1条が観光の価値として提起する、「人間と社会間の相互理解と敬意」が育まれていくことも、私達は再度、心に刻んでおく必要があるでしょう。偏見の除去、相互理解の促進、草の根からの平和構築への寄与、これらが、旅や観光が持つ人類的なレベルでの本質的価値であり、その価値が揺らぐことはありません。
3.より良い観光の実現に向けて
観光の本質的な価値を確認した上で、理解しておきたいのは、平和産業とも言われる観光産業は、確かに一面で災害やテロ・戦争、経済不況や感染症など、様々な出来事に最も打撃を受けやすい産業でありつつも、そこからの回復も早いと言われていることです。実際に今回も、中国国内や欧州各国では、観光旅行の回復が既に見られ始めています。中長期的な視野で見た場合には、旅や観光といった現象や産業は、世界的な発展を今後も続けていくと見立てておいて良いでしょう。この点は、旅や観光に価値を置く人々にとっては安心材料であると言えます。しかし他方で、観光がコロナ禍によりいわば「一時停止」状態になっている今だからこそ、再度、観光関連の事業者、観光客誘致を図る国や自治体、また、観光客や地域住民としての私達一人一人が、「どのような観光が良い観光なのか」を改めて考え、協力して「より良い観光」の実現を目指す必要があるとも言えるでしょう。
このことは言い換えれば、今回の「観光甲子園」にも組み込まれている、観光の持つ力を活用した「持続可能な開発目標」(SDGs)の達成への取組みを、更に加速し、強化していく必要があるということに他なりません。例えば、私が所属している京都外国語大学国際貢献学部グローバル観光学科では、「観光の力を通したSDGsの達成」に貢献できる人間を育成することを目標にカリキュラムが構成されており、特に「Community Engagement」という実践的科目で、実社会の人々と協働で、SDGsの達成を目指した様々な取組みや学修・調査を行っています。2019年に実施した、兵庫県城崎温泉での「Community Engagement」では、約5週間、城崎の老舗旅館・ホテルにて就業研修に従事しつつ、同時に、城崎温泉の伝統工芸品である「麦わら細工」の販売促進に向けて、各種調査や実践的取組みを行いました。(これは、特に国連が観光に期待する「SDGs8 働きがいも経済成長も」の達成に貢献する取組みと言えます。)
繰り返して強調しておきますが、「より良い観光の実現」に向けて努力すべき主体は、観光関連の事業者や国や自治体などに留まりません。私達が観光客として取る一つ一つの経済的・社会的・文化的行動が、「より良い観光の実現」に影響を与える点を銘記しておきましょう。UNWTOが作成した「責任ある旅行者になるためのヒント」という冊子には、旅行中に、自然環境、地域経済、地域の文化や社会に対してどのような態度や行動を取ることが望ましいか、ポイントがまとめてありますので、皆さん是非、読んでいただくと良いと思います 。日本人は特に世界の人々と比べ、「観光はただ楽しめば良いもの」という意識を持つ人が多い傾向にあるとの議論もありますが、コロナ禍を機に、日本人が旅や観光に対して持つ価値観や行動形態をバージョンアップしていくことも、期待されて良いのではないでしょうか。
4.大学で何を、どう学ぶべきか
今回のコロナ禍は、人・モノ・資本・情報などが国境を越えて移動するグローバル化の負の側面を露わにしたものであると評価する議論があります。確かに、特に経済活動に関しては、過度なグローバル化の見直しが望まれる点も存在するかもしれません。ただし、コロナウイルスへの対応が否応無しに、国家間の協調や連帯を必要とする点に象徴されるように、人類はもはや、それぞれの国の国境の内側に閉じこもり生きていくことが不可能な段階に既に至ってしまっている点は、揺るがない事実と言えるでしょう。SDGsが17の目標から成るように、地球環境問題、貧困や飢餓の問題、教育やジェンダー問題など、人類全体の前には多くの課題があり、それらは「グローバルな=地球規模の」連帯と協力が無ければ、解決することができません。
これらの人類共通の課題に加え、特に日本社会については、新しい技術や新しい産業など、イノベーションを生み出す力が低下しているという指摘もあり、また、今後さらに少子高齢化と人口減少が進む中で、いかに人々の経済的・文化的な豊かさを維持していくかが、待った無しの課題であることは、皆さんも理解していることかと思います。そのような中、特に若い世代の皆さんは、様々な価値観やものの考え方、美意識や行動特性など、自分とは異質な様々な他者と出会うことで、自らの「想像力」と「創造力」を鍛えていく必要があると言えるでしょう。
私見となりますが、皆さんには是非大学で、現代社会に必須のスキルとしての語学(英語・中国語など)の能力とデジタル技術を活用する能力に加え、教養と専門知識のバランス、理論と実践とのバランス、教科書的な知識と社会の現場にある知識とのバランス、知的な事柄と感性や美意識に関する事柄とのバランスなど、様々なバランスを意識しつつ、学びを深めていただくのが良いのではないかと考えています。また、その際に、今後の人工知能(AI)を始めとする様々な新しいテクノロジーの出現による社会変容を見据え、世の中が変化しても絶えず「学び続ける力」、また、人類共通の課題を解決するために「価値を創造する力」を、大学時代から養い始めることが重要ではないでしょうか。
この観点から見た時に、観光学は、様々な既存の学問を活用する「学際的」な新しい学問である点、理論的知識と社会の現場の知識の両方が学べる点、知的な事柄に加え感性や美意識に関わる事柄、更には他者への共感力や想像力の必要性を学び鍛えることができる点、社会の様々な現場での価値創造のあり方を学び、自分でそれを試すこともできる点など、様々な点から、実に、21世紀を生きる人類にとって必要とされる能力を養うのにふさわしい学問領域であると考えられます。今回の「観光甲子園」での取組みをきっかけに、未来の人類社会のあり方、未来の観光のあり方、未来の日本社会のあり方、或いは、自分自身が今後学ぶべき事柄、自分自身が希望する生き方について、考えていただければと思います。