日系移民に学ぶ


始まりは明治元年


オアフ島の内陸部には広大なパイナップル農園が広がり、ワイキキビーチ界隈で食べる甘くて美味しいパイナップルはハワイの代名詞のように思われていますが、ハワイにパイナップル産業が生まれたのは1900年前後。それまでは18世紀前半に持ち込まれたプランテーション(大規模農園)によるサトウキビ作り産業がハワイ王国に繁栄をもたらした基幹産業でした。

 

このプランテーションの歴史に深く関わったのが日系移民で、1868年(明治元年)から1924年に禁止されるまでの期間に約20万人が海を渡った移民のスタートはサトウキビ農園が募集した出稼ぎ労働者だったのです。

 

幕末の変革期に徳川幕府はアメリカ合衆国と日米修好通商条約を結び、その手続きのために使節団を1860年にサンフランシスコに送ります。この外交で米海軍ポーハタン号と共に太平洋を横断した咸臨丸が帰路にハワイに寄港。そこでカメハメハ4世から移民の要請を受けたのです。

 

これを機に移民募集が行われ、1968年6月に日本史上初の移民船が旅立つことになったのですが、このタイミングで徳川幕府から明治新政府に政権移行したことから歴史的な事件が勃発。始まったばかりの移民事業は頓挫します。

その後、ハワイ・日本政府間の協議で移民制度が復活したのは明治18年。サトウキビ農園を目指す日本人が続々とハワイを目指すことになりました。


 

アロハプログラムで日系移民関連情報をチェック!


著者:江藤誠晃
ツーリズム・プロデユーサー、旅行作家。

NEXT TOURISM 理事、観光甲子園統轄プロデューサー。